第四回 メッシュのような人
「あらゆる物事は理由があって起こる。」
エドガー・ケイシーの本を閉じ、公園のベンチに傾けていた背中を、ぐーっと伸ばしながら、腕に巻いたデジタル時計を見ると時刻は午後0時00分ちょうどだ った。
0の形を見ていたらさっき買ったドーナツのことを思い出して、 紙袋から1つ取り出した。
いつもなら何も考えずにかぶりつくところだが、今日の私は違う。
科学者がビーカーを持ち上げるように、 シュガーコーティングされた丸いドーナツの穴をじっと眺めた。
ドーナツからみたこの世界は、ドーナッツてるんだろ?なんて恥ずかしいダジャレが思い浮かんでしまった。
すると、
「ドーナッツてた?」
・・・ドーナツが、喋った。と思ったがそんな筈はなかった。
ドーナツの穴ごしにニッコリと笑う男の人と目があった。
「ねえ、ドーナッツてた?」
シュッと近づいてきた男の人に私は思わず、
「ド、ドーナッツてもなかったですっ」
そう返してしまった。普段はダジャレなんて絶対に言わないのに! 頭の中でさっき読んでた本の言葉がよみがえる。
「あらゆる物事は理由があって起こる。」
メッシュ素材のキャップに、メッシュ素材のサングラス、 ざっくりとした網目のニットに、 足元はやっぱりメッシュのサンダルという、 トータルコーディネートは全てメッシュ素材でキメている彼の風貌 は、見ているだけでスースーする。
その風通しの良さは、見た目だけでなく、中身もそうだった。
( 風通しが良いって、人に対して言っていいのかどうかは、 分からないけれど。)
彼はおもむろに、「シュッ」 という効果音と共に私の目の前に一枚のフライヤーを突き出した。
これも、もちろんメッシュ素材である。
「ちょっと読みにくいな・・・」
目の前に突き出されたのと、 特殊なメッシュ素材ということもあって、 私はつい小言をつぶやいてしまったのだが彼はイヤな顔ひとつせず 、
「押してダメなら引いてみるっシュッ」
そう言いながらフライヤーを持ったままスキップで三歩下がった。
「あ、読めた。」
フライヤーにはDJ AmiMe(アミメ)と書いてあり、 彼の方を見るとニコニコしながら自分を指差してアピールしている 。この人、DJ やってるのか。
「来週の金曜にDJ やるからくるッシュ」
私は初めて、クラブという場に行くことになった。
あの出会いからあっという間に時が経ち、今日はDJ AmiMeが出演するクラブイベント当日だ。
“メッシュ素材のアイテム着用でドリンク一杯無料っシュ”
彼がそう教えてくれた通りに私は押入れの中にあったバスケ部時代 の試合ユニフォームをひっぱり出してきた。
たかが一杯の無料ドリンクに対して、 真面目にメッシュを着込むなんて。しかもゼッケン。でも、 この際ダサいとかどうでもいい。お得に楽しめるなら何よりだ。
そう思ったら何だか自由になった気分だ。
当たり障りのない日常という膜に人差し指でぷすっと穴をあけたよ うな感覚だ。
クラブ会場に到着すると、 メッシュ素材を着用した人々が入り口に向かってわらわらと列をな していた。
はたから見たら異様な雰囲気だが、 もれなく私もメッシュピーポーの一員である。 もはや他人事ではない。
しばらく並んだのち、遂にクラブという世界へ足を踏み入れた。 もちろん、無料で貰ったドリンクも一緒に。
薄暗い空間の中、 メッシュピーポー達の期待や興奮の声がざわざわと揺れる。
一部の「メ〜〜ッシュ」という歓声を機に、 グリーンのレーザーライトが無数に、縦に伸びて行く。 その線の上から更に横にもライトが伸びていき、 会場にいるメッシュピーポー達を捕獲するような網目が浮かんだ。
そして大きな歓声の中、たぶん、彼は登場した。
たぶん、と言ったのには理由がある。
なんせ、DJ ブースに登壇したのはメッシュ素材で出来たウサギの着ぐるみだっ たからだ!
でも、たぶん、あれは、DJ AmiMeだ。
メッシュ素材の着ぐるみの奥で彼のにっこりとした笑顔が見えたよ うな気がした。
メッシュピーポー達は彼が出てくるなり、 ウサギのようにピョンピョン跳ね出した。 これはこのイベント独特の儀式なのだろう。
私も控えめに、ピョン、と跳ねてみた。
手に持っていたドリンクも、ピチャン、と飛び跳ねた。( だから無料なのかな。)
水が跳ねてもメッシュ素材だから全然染み込まない。
(これも計算の上か?)
DJ AmiMeが人差し指を突き上げた方向を見ると、 天井には無数のニンジンがぶら下がっていた。途端、多分、風が、 ぶわっと吹き上げた。ように感じた。
突風が草花を荒く撫でるような、疾走感のある音のあと、 お腹の底を力強く突き上げるような低いビート音が鳴り響く。 時折、隙間風のような不規則な高音も混じり、 薄暗い空間にいる筈の私は、夜の、 広い広い草原を縦横無尽に駆け回っているウサギのような感覚にな った。
私の体は無意識にピョンピョンと飛び跳ねていた。
ドンッと誰かの肩にぶつかり、気がつくとDJ も、 先ほどまで一緒に踊っていたウサギ達もいない音の無い空間に、 私だけが放心状態で佇んでいた。
さあ、 私も後に続いて帰ろう、としたがstaffと書かれた腕章をつけた 2匹のウサギに呼ばれ、楽屋へ誘導された。
楽屋口に掛かっている「風と共に去りぬ」 と書かれたメッシュ素材ののれんをくぐると、DJ AmiMeが汗をぬぐっていた。 鏡台には先ほどまで私を非日常の世界へ連れて行ってくれた、 メッシュウサギの頭が置かれている。
「メ〜ッシュ。それイイメ〜ッシュッ(おつかれー。 それカッコイイメッシュじゃ〜ん。)」
たぶん、私のメッシュコーデを褒めてくれたようだ。
ふと、鏡台の向かいにあるテーブルを見ると、 差し入れのドーナツがお月見団子のように積み上がっていた。
「メ〜ッシュ メッシュドーナツメシュ( クラブデビュー記念にドーナツで乾杯しよ〜よ。)」
彼はアドレナリン全開なのか、 言語がメッシュしか言えていないが、 同じくアドレナリン全開の今の私には彼が何を言っているのか、 何となく分かる。
「「メ〜ッシュ」」
ドーナツで乾杯をして、茶色いまん丸に思いきり噛り付いた。 口の中の水分が奪われて、カラカラしてきたところに、 気の利く彼は梅酒をくれた。
梅酒とドーナツは合うんだな。
今日は新しい発見ばかりだ。
私の頭の中で、あのフレーズがまた蘇る。
「あらゆる物事は理由があって起こる。」
もぐもぐとドーナツを頬張る彼に、 気になっていた質問をぶつけてみる。
「なんでDJ AmiMeっていうんですか?」
私がそう尋ねた途端、部屋全体を照らしていたライトが暗くなり、 彼だけにスポットライトが当たった。
楽屋口の方を振り返ると、 スタッフのウサギがゆっくりと頷きながら部屋のライトを調節して いた。
DJ AmiMeの方に頭を戻すと、 いつの間にアコースティックギターを取り出し、ポロ〜 ンとアルペジオをつまびきながら語り出した。
「meはアミちゃんていう人に恋してるの。 Amiに恋するMeで、ンー!AmiMeなの。 でも今どこにいるか、分からないの。分からないのさ〜」
アミちゃんと彼は幼稚園からの幼馴染だったのだが、 5年生のときに親の仕事の都合でアミちゃんはマイアミに引っ越し てしまったらしい。
「 僕の恋心は5年生のときのイノセントな状態のまま止まっているの 。ずっとずっと、アミちゃんが忘れられなくて、 でもどこにいるか分からないから、音楽なら、 マイアミ語じゃなくても、僕の想いが、通じるかなって。思う。 思うのさ〜」
音楽は国境を越える。言葉が、マイアミ語(英語)が、 通じなくても、アミちゃんに通じたらいいな。もっとも、 アミちゃんは日本語でも通じるんじゃないかなって思ったけど、 そんな無粋なことは今は見ないフリをしよう。 私は彼の話を聞きながら、そう思った。
「明日は明日の風が吹く。」
「え?」
DJ AmiMeはラジオのパーソナリティ並みの良い声で言った。
「悩んだとき、今日うまくいかない事があっても、 また明日頑張ってみればいい。いいのさ〜」
どこぞのまさよしを彷彿とさせる歌い方に私は思わず、 プッと吹き出してしまった。
彼も、ププッと吹き出した。
DJ AmiMeは、風通しが良い人、 というより風そのもののような人だ。 ふわっと包み込んでくれるときもあれば、 突拍子のないことで驚かせてくれる。風は掴み所はない。 そもそも掴めない。
「そういえば今日は満月だよ〜こうして君と会えたのも、 月の引力だったりしてね〜」
クラブから出る別れ際、そう言った彼の言葉どおり、 夜空を見上げるとドーナツみたいなまるい満月がそこにあった。
「あらゆる物事は理由があって起こる。」
彼は翌日、マイアミに飛んだ。
やっぱり彼は、多分、風。
これはとある印刷会社で働く、紙をこよなく愛する人が、
紙の特徴を伝えたいという想いから始まった、紙を擬人化したショートストーリーである。
「紙女」
第一回 マット紙のような人
第二回 光沢紙のような人
第三回 耐水紙のような人?
第四回 メッシュのような人
第五回 合成紙糊あり・なしのような人
第六回 ターポリンのような人?
第七回 パワー合成紙のような人